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油控えめ万博世代・40代の映画日記。



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油控えめ40代映画好き。普通のおじさん。
嫁一人、大学生の息子一人、ネコ一匹。最近、ウサギのポコとモモが冥界へ旅立ち、3人と1匹の我がB型家族。40代も半ばになり、楽しかった70年代に思いを馳せる今日この頃です。仕事はかっこよく言うとIT関係。でも給料は下がる一方。(トホホ・・・)
Profileの写真は、私じゃなく我が家のTORAが車から雪景色を眺めているところ。



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あと1年       モブログ 
はな.jpg
つい最近、49歳になった。
ブログのタイトルどおり、もう後1年で50の大台になる。
今は宇宙戦艦ヤマトのように、「50の大台まであと352日」とたまに頭の中でテロップが表示されている。

若い頃は、50と聞くとえらいおっさんだったが、いざ自分がそうなっても実感がないというか、30歳ぐらいからあまり変わっていないように思う。いろんな経験をしてきた事は知識になったり、考え方に影響しているが、ベースの部分は変わっていないように思う。
多分、60歳になった時も同じように思うだろう。

2年前に死に掛けるほどの大きな病気になって、会社を4ヵ月ほど休み、大きな手術をした。
それまでは、大きな病気をすると考え方が変わるとよく聞いたが、考え方に影響はしたが変わる事はなかった。今でこそ言えるが、死ぬこと自体も恐怖はあまりなかった。多分、いくらしんどくても実感がなかったからだと思う。
それで良いのか?という意見もあるだろうが、実感がないものはどうしようもない。三つ子の魂なんとかというが、本当にそのとおりだ。
考え方というのは変わる訳ではなく、増えたり微調整されたりするもので、根っこのところは変わらない。誤解があるといけないが、犯罪を犯した人が更正できないと言っているのではない。善悪ではなく、ものの見方や行動する時の考え方の基本は変わらないと言っているだけだ。
私の場合は、人間がちっちゃくて嫌になることはたまにあるが、このままで良いと思っている。ちっちゃいところも含めて変えてしまうと自分ではなくなるように思うからだ。

考え方を変えろ変えろとよく言われるが、仕事や世の中の動きに対する見方であって、自分自身の信条・信念ではない。仕事では臨機応変に対応すれば良いが、ベースの部分は無理矢理変える必要はない。悪いことは反省し、何が間違っていたのか振り返るべきだが、信条・信念は変える必要はない。

これからも何やらかにやらあるだろうが、60歳になっても相変わらずおちゃらけているんだろうなあと思うと、それもまた楽しくて良いかなと49歳になって思った。

うーん、何のこっちゃ。
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blogblog モブログ / 2010.02.10 10:13 / TB[0] / CM[0]


鬼は外 福は内       モブログ 
とらあったか.jpg
今日は立春。
昨日の2月3日は節分だった。
節分は、各季節の始まりの日である立春、立夏、立秋、立冬の前日。「季節を分ける」という意味からついた名前だ。

節分には、豆まきが有名だが、恵方を向いて、巻き寿司を丸かぶりするというのも最近の定番だ。元々は関西だけでやっていたが、最近では関東の方でも定着している。関西で流行り出したのもそんなに古い話ではなく、昭和50年代に海苔の販売をしている団体が販売促進のために栃木か群馬の風習をうまく流行らせたそうだ。さすが、商魂逞しい大阪人のやりそうなことだ。

今年の恵方は西南西だが、恵方には何があるかご存知だろうか。恵方には歳徳神(としとくじん)という神様がおられるそうだ。歳徳神は方位神の一つで、その年の福徳を司る吉神さんなのだ。年徳、歳神、正月さまなどとも言うそうだ。因みに歳徳神はとても美人の神様だそうだ。

で、肝心の巻き鮨の丸かぶりは、黙って一本食べないといけないそうだが、とてもじゃないが、大きすぎて無理である。1本食べるには結構な時間を黙っていないといけない。だから、我が家では、とりあえず一口だけは黙って食べるようにしている。
小さい子供がいれば豆まきもするが、鬼の面をかぶって喜ぶような歳の子供もいないので豆まきはしなかったが、鬼は外、福は内と行きたいものだ。

これから段々温かくなって、早く本当の春になってほしいなあ。でも、今日の最低気温は零度近辺。ビールも冷え過ぎとなる気温。まだ春遠しという感じだ。あー、春よ来い!
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blogblog モブログ / 2010.02.04 08:55 / TB[0] / CM[1]


呟くと囁く       モブログ 
つぶやく.jpg
呟く(つぶやく)と囁く(ささやく)。どちらも似た感じの小声での喋り方を表す言葉だが、大きな違いは独り言かそうでないかだ。
「囁く」の口に耳が三つは、いかにも小声で喋るのをみんなが耳を寄せ合って聞いている感じがする。「呟く」は語源は知らないが、日本での用法だそうだ。

つぶや・く3【▼呟く】
(動カ五)
小声でひとりごとを言う。「不満げに・く」

ささや・く30【▼囁く・〈私語〉く】
(動カ五)
〔「ささ」は擬声語〕
?小声で言う。声をひそめて言う。「耳元で・く」「愛を・く」
?うわさをする。「あちこちで議長辞任が・かれている」
可能ささやける

大辞林 第三版

因みに去年の暮れから始めたtwitterは、「囁く」なんだろうか、「呟く」なんだろうか。
私が朝 駅に行って寒い寒いとぼやくのは「呟く」だと思うが、噂話している時は「囁く」だろうなあ。
例文にもあるが、「愛を囁く」というのもよく聞く言葉だが、よくよく漢字を見ると耳が多すぎると思う。愛を囁くならば耳は1個で良いじゃなかろうか。タイガー・ウッズなら逆に耳がかなり足りないかもしれない。

因みに、「囁く」はwhisper、「呟く」はmutter。twitterは「囀る(さえずる)」。

「うーん、寒い」と呟きたくなる1日だ。
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blogblog モブログ / 2010.02.03 08:06 / TB[0] / CM[0]


懐メロ       モブログ 
南沙織.jpg
最近聞かなくなった言葉だが、昔懐かしい流行歌のことを「懐メロ」と言って、以前は懐メロ特集だとかの番組があったものだ。その事自体が昔々の出来事になり、懐メロって言葉は死語になっている。昔、懐メロというと、東海林太郎とか春日八郎、ディック峰なんて方達が出て来たものだ。若い人からすればタイガースやスパイダース以上に知らない大昔の人だ。下手をすると歴史上の人物と勘違いしてしまうかもしれない。今や歌謡曲ですら死語なのかもしれない。

私のような50歳直前の年代の人間はやはり70年代〜80年代に流行った曲が懐メロになるだろう。年齢的には10歳〜30歳までの若い頃に聞いた曲だ。ボーダーはハッキリしないから多少前後はするが、そんな感じだと思う。

思い出すと子供の頃に印象に残っているのは、何と言ってもキングトーンズが歌った『グッド・ナイト・ベイビー』だ。1968年の曲だ。タイトルと違い歌では「グンナイ グンナイ ベイビー」と歌っていた。このフレーズと独特の歌い方が耳に残り、私だけでなく当時のお子ちゃまの間では結構人気があったと思う。歌詞はこんな感じだ。

♪きっといつかは 君のパパも
わかってくれる ふたりの愛を
うしろを向いた ふるえる肩を
抱いてあげよう だから
グンナイ・グンナイ・ベイビー
涙こらえて 今夜はこのまま
おやすみ グンナイ
グンナイ・グンナイ・ベイビー
涙こらえて 楽しいあしたを
夢見て グンナイ

曲の冒頭。「きっといつかは」の最後の「は」と「君のパパも」の「もぉ」の独特の歌い方が何とも良い感じなのだ。この曲を知っている人にはきっと分かる筈だ。

70年代のアイドルというと百恵ちゃんを始め錚々たる人達がいるが、私の場合は何と言っても南沙織さんだ。現在の篠山紀信さんの奥さんだ。沖縄出身のアイドルである。褐色の肌に黒い髪と大きな瞳。ハーフにも見えるエキゾチックな顔立ち。清楚で可愛く美しく、歌も上手で三拍子も四拍子も揃ったアイドルだった。愛称のシンシアで呼ばれることもあり、多くの人はハーフと勘違いしたと思うが、両親とも日本の方で、再婚後のお父さんがフィリピンの方だそうだ。
17才、傷つく世代などなど、1971年にデビューし、1978年にアイドルを引退するまで、70年代を通してみんなに愛されたアイドルだ。

中学から高校の頃に好きだったのはチューリップ。心の旅や虹とスニーカーの頃などなど素晴らしい曲がたくさんあり、どの曲も大好きだが、アルバム『心の旅』に入っていたと思うが、『僕のお嫁さん』という曲がその中でも大好きな曲だ。こういうお嫁さんと結婚すると、毎日が明るく暮らしていけて幸せだろうな、と感じる温かな曲で、当時の空気感も曲に溢れている素敵な曲だ。この曲のズンチャ ズンチャのメロディを聴くと凄く懐かしく感じる。

♪君にかけよう僕の夢を
今まで大事に持ってた夢だけど
今日から 僕の部屋へやってきた
僕が選んだ僕のお嫁さん

足も長いと決して言えないし
顔もそばかすで子供みたい
今までたくさん男にふられてるけど
それでも僕の心を一番わかってる

お金もないし家もないけど
毎日楽しく暮らしてゆける
それが僕の生き方なんだ
わかってくれるね

君のおやじもおふくろさんも
誰もいない君だけど
底ぬけに明るいそんなとこが
僕はとっても好きになってのさ

長いこれからの道だけど
約束しようこれだけは
きっと君を幸せにするよ
世界一強い愛で

今日も今頃買物かごに
野菜やくだものをたくさん買い込んで
どんな時 もエヘヘと笑う
それが僕の大好きなお嫁さん

お嫁さん
お嫁さん

そういえば、ぼくが作った愛の歌も良いなあ。
昔、聴いて今も好きな曲は、単に良いというだけでなく、その当時に自分が戻って、今はあまり感じることのない「切ない」気持ちを思い起こされるから素晴らしい。

また、とりとめなくつらつらと書き綴ってしまった。
うーん、良いなあ、懐メロ 万才!
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blogblog モブログ / 2010.02.02 09:04 / TB[0] / CM[0]


ほたるの湯       ああ、いいなぁ 
ほたるの湯


今日は、1日お休みを取り和歌山の方に出掛けた。
20歳代前半の頃、お世話になった先輩に会うのが目的であった。

昔々、会社に入社した頃は、大阪城の近くにあるビルに勤めていた。私たちの仕事は、コンピュータを使って社員の給与計算をしたり、経理や固定資産管理、建設工事の積算など社内業務システムの設計や運用を行っていた。入社した時、私はそのコンピュータシステムのオペレーターとして配属された。職場には6つほどの係があり、当時100人ぐらいの社員がいた。今日会った先輩は、その中の資料管理という担当の方で、システムの入力となる帳票、電子データの受付やアウトプットの仕訳・発送をされていた。私の職場で処理して印刷した帳票を毎日のようにその資料管理に持って行った。そのほかの係とも行き来はあったが、特に資料管理係との関わりは多かった。
今日、お会いした先輩は、私が入社する前からおられた本田さんという女性と、入社して4年ぐらいの頃に転勤されてきた川口さんと丸谷さんの3人。本田さんは私より一回り上、川口さんと丸山さんは6つ上の先輩。当時は、この3人の先輩には大変可愛がっていただいたし、お世話にもなった。私は、職場で一番若かったこともあり、何かと皆さんに可愛がってもらった。当時の私の愛称は「キーボー」。みんな、私のことをキーボー、キーボーと呼んでいた。
当然ながら最近はそう呼ばれることはないが、その当時お世話になった先輩に会うと今でも皆さん「キーボー」と呼ばれる。50歳手前になり、懐かしいような気恥ずかしいような感じだ。

当時は、1980年代。今から30年ほど前になる。まだ、パソコンも普及しておらず、携帯電話もなければインターネットなんてものもなかった頃だ。世間ではキャリアウーマンなる言葉が出始め、バリバリ仕事をする女性が増えてきていた。芸能界ではピンクレディや山口百恵さんが全盛で、西条秀樹がYMCAを歌っていた。今ほど時間の流れも速くはなく、不況不況と耳にすることもない活気のあった時代だった。
今、3ヶ月でする仕事も当時は1年ぐらい掛けていたんじゃないだろうか。良いか悪いかは別として、個人情報保護、コンプライアンス、セキュリティなんて言葉もないし、最近は日常茶飯事になってしまった自殺も少ない心のゆとりがある大らかな時代でもあった。
そんな時代だったので、職場もアットホームな雰囲気で、お互いに助け合うといった良い環境で仕事をしていた。必要以上に時間に追われることもなく、きっちり決められた仕事をして、早く仕事が終わった日はみんなで飲みに行ったり、週末や季節の折々に遊びに行く機会も多くあった。高額な給料をもらっていたわけではないが、今のようなギスギスした雰囲気は皆無の幸せな時代だったと思う。

今日お会いした3人がおられた資料管理という係は資料管と呼ばれていて、私が資料を持って行くと、「キーボー、ケーキあるから食べていき。」とか、面白い話があれば「お茶飲んでいき。」とか、長居してしまうことも、しばしばあった。それも場合によっては1時間、長いときなら2時間と話し込んでいた。今では考えられないような話だが、十分仕事もこなせたし、それで説教されるようなこともなかった。何とも良い時代だった。
本田さんは何でも話しやすいお姉さんのような人で、常に明るく話好きで、いつも「ガハハ!」と笑う楽しい先輩。資料管には、本田さん以外にも二人女性がいて、明るくて楽しい係だった。ある日の昼休み、ビルの前にある高速道路の向かい側の道を歩いていると、聞き馴染みのある声が聞こえてくるので声のする方角に顔を向けると、本田さんが「キーボー、どこ行くの?」と大きな声で呼んでいた。こちらも大きな声で「銀行にお金おろしに行くところ。」と答えると、「サフランのシュークリーム買ってきて〜」と本田さん。「OK!」と返事をして銀行に行った。当時、組合の役員をしていたので、その役員手当ての5千円を引き出しに行くるところだった。5千円を引き出して、その半分を使ってシュークリームを買って帰った。あーあ見つかっちゃったと思ったが、その後みんなで楽しくそのシュークリームを食べた想い出がある。そんな感じで、若くて金もなかったが、毎日が本当に楽しかった。
川口さんや丸谷さんは年齢的にも一番近い先輩だったので、やはり何やかんやと声を掛けてもらったし、一緒に遊びに行ったり、飲みに行ったりしていた。川口さんには、結婚した時に引越しの手伝いまでしてもらい、面倒見の良い気さくな先輩だった。

本田さんは、今は同じビルで仕事をしているので顔を見たり挨拶はしているが、中々ゆっくり話す機会もなかったし、川口さんとは10年ぐらい会っていないし、丸谷さんとは20年ほどお会いしていない。そういう訳で、今日お会いするのは本当に楽しみだった。今日の計画は、豪快な本田さんに声を掛けてもらったので、これまでのように情報も少なく、丸谷さんと会えることは知らなかった。良いように思えば、サプライズになって良かったと思う。

今日、先輩と訪れた先は、和歌山県有田郡広川町にある滝原温泉・ほたるの湯という広川町が運営している温泉である。食事も出来てゆっくり温泉にもつかれるところだ。場所は川口さんが事前に調べてくれていた。さすが、気配り目配りの川口さんである。
丸谷さんの車で現地に到着したのが11時頃。先ずは4人で昼食をとった。何やかんやと昔からの思い出話に花が咲き、3時間ぐらいかけて食事をした。当時のエピソードやそれぞれの近況を話したり、皆一様に年をとって体のあちこちにガタがきたとか、他愛もない話は中々尽きることはなかった。
皆 年はとって見た目も年齢相応になってしまったけど、話をしているときは当時に戻った感じがして、懐かしくもあり嬉しくもあり、良い時間を過ごせた。
話は尽きなかったが帰る時間もあり、その後ゆったり温泉につかり帰路についた。温泉は露天風呂もあり、結構広々として気持ちの良いものであった。天気も良く、柔らかな日差しを浴びながら露天風呂にのんびりつかるのもまた格別だった。なんともゆったりして、昔話も出来、有意義な1日になった。
本田さんや川口さん、丸谷さんに感謝感謝である。

川口さんが、「昔の仲間に会うと自分が当時に戻れるのが嬉しい」と言っていたが、本当にその通りである。昔ばかりを見て懐かしんでいるというわけではなく、たまにそういう機会があると、普段の嫌なことも忘れられるし、またそういう機会があると思うと普段の生活も楽しくなる。
たまには、昔を懐かしむだけでなく、実際に顔を見て馬鹿話をする機会を設けるということは、本当に良いことだ。
昔の仲間と顔を合わすことで良いストレス発散になる思うので、最近、楽しいことがないと嘆いている人は、是非そういう機会を持って欲しいものだ。

という訳で、本田さん、川口さん、丸谷さん、今日は本当にありがとうございました。
次の機会を楽しみにしています。

P.S. 関西近郊の方へ「ほたるの湯」情報は、下記のURLにアクセスしてください。
http://www.zc.ztv.ne.jp/hotaru/index.html
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blogblog ああ、いいなぁ / 2010.01.30 02:09 / TB[0] / CM[0]



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