FC2ブログ

KinoLog        blog  blog

油控えめ万博世代・40代の映画日記。



11 « 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 »01

Counter



Tora Clock FLASH

FLASHで時計を作って見ました。ダウンロードしたファイルを携帯にメールで転送すると待ち受けになります。下の赤い字の部分を見てね。

携帯用待受けFLASHはこのテキストの上で右クリックして、対象をファイルに保存(A)を選んでください!
リンク先は携帯用コンテンツなのでPCでも表示されますが、時間が表示されません。


最近の記事


お気に入り

いもとようこの世界 Imoto.gif
『ないた赤おに』や『3びきのくま』など素敵な絵本作家のいもとようこ先生の公式サイトです。
TORA WEB


カテゴリー


リンク

このブログをリンクに追加する


プロフィール

kinop

Author:kinop

油控えめ40代映画好き。普通のおじさん。
嫁一人、大学生の息子一人、ネコ一匹。最近、ウサギのポコとモモが冥界へ旅立ち、3人と1匹の我がB型家族。40代も半ばになり、楽しかった70年代に思いを馳せる今日この頃です。仕事はかっこよく言うとIT関係。でも給料は下がる一方。(トホホ・・・)
Profileの写真は、私じゃなく我が家のTORAが車から雪景色を眺めているところ。



月別アーカイブ


最近のコメント


最近のトラックバック


RSSフィード


全ての記事を表示する

全ての記事を表示する


ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


TORA音楽涙するとき映画SE日記

ああいいなぁモブログテレビ・ドラマ欲しいもの


 iTunes Store(Japan)


スポンサーサイト       スポンサー広告 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
    TSUTAYA online 

blogblog スポンサー広告 / --.--.-- --:--


ほたるの湯       ああ、いいなぁ 
ほたるの湯


今日は、1日お休みを取り和歌山の方に出掛けた。
20歳代前半の頃、お世話になった先輩に会うのが目的であった。

昔々、会社に入社した頃は、大阪城の近くにあるビルに勤めていた。私たちの仕事は、コンピュータを使って社員の給与計算をしたり、経理や固定資産管理、建設工事の積算など社内業務システムの設計や運用を行っていた。入社した時、私はそのコンピュータシステムのオペレーターとして配属された。職場には6つほどの係があり、当時100人ぐらいの社員がいた。今日会った先輩は、その中の資料管理という担当の方で、システムの入力となる帳票、電子データの受付やアウトプットの仕訳・発送をされていた。私の職場で処理して印刷した帳票を毎日のようにその資料管理に持って行った。そのほかの係とも行き来はあったが、特に資料管理係との関わりは多かった。
今日、お会いした先輩は、私が入社する前からおられた本田さんという女性と、入社して4年ぐらいの頃に転勤されてきた川口さんと丸谷さんの3人。本田さんは私より一回り上、川口さんと丸山さんは6つ上の先輩。当時は、この3人の先輩には大変可愛がっていただいたし、お世話にもなった。私は、職場で一番若かったこともあり、何かと皆さんに可愛がってもらった。当時の私の愛称は「キーボー」。みんな、私のことをキーボー、キーボーと呼んでいた。
当然ながら最近はそう呼ばれることはないが、その当時お世話になった先輩に会うと今でも皆さん「キーボー」と呼ばれる。50歳手前になり、懐かしいような気恥ずかしいような感じだ。

当時は、1980年代。今から30年ほど前になる。まだ、パソコンも普及しておらず、携帯電話もなければインターネットなんてものもなかった頃だ。世間ではキャリアウーマンなる言葉が出始め、バリバリ仕事をする女性が増えてきていた。芸能界ではピンクレディや山口百恵さんが全盛で、西条秀樹がYMCAを歌っていた。今ほど時間の流れも速くはなく、不況不況と耳にすることもない活気のあった時代だった。
今、3ヶ月でする仕事も当時は1年ぐらい掛けていたんじゃないだろうか。良いか悪いかは別として、個人情報保護、コンプライアンス、セキュリティなんて言葉もないし、最近は日常茶飯事になってしまった自殺も少ない心のゆとりがある大らかな時代でもあった。
そんな時代だったので、職場もアットホームな雰囲気で、お互いに助け合うといった良い環境で仕事をしていた。必要以上に時間に追われることもなく、きっちり決められた仕事をして、早く仕事が終わった日はみんなで飲みに行ったり、週末や季節の折々に遊びに行く機会も多くあった。高額な給料をもらっていたわけではないが、今のようなギスギスした雰囲気は皆無の幸せな時代だったと思う。

今日お会いした3人がおられた資料管理という係は資料管と呼ばれていて、私が資料を持って行くと、「キーボー、ケーキあるから食べていき。」とか、面白い話があれば「お茶飲んでいき。」とか、長居してしまうことも、しばしばあった。それも場合によっては1時間、長いときなら2時間と話し込んでいた。今では考えられないような話だが、十分仕事もこなせたし、それで説教されるようなこともなかった。何とも良い時代だった。
本田さんは何でも話しやすいお姉さんのような人で、常に明るく話好きで、いつも「ガハハ!」と笑う楽しい先輩。資料管には、本田さん以外にも二人女性がいて、明るくて楽しい係だった。ある日の昼休み、ビルの前にある高速道路の向かい側の道を歩いていると、聞き馴染みのある声が聞こえてくるので声のする方角に顔を向けると、本田さんが「キーボー、どこ行くの?」と大きな声で呼んでいた。こちらも大きな声で「銀行にお金おろしに行くところ。」と答えると、「サフランのシュークリーム買ってきて~」と本田さん。「OK!」と返事をして銀行に行った。当時、組合の役員をしていたので、その役員手当ての5千円を引き出しに行くるところだった。5千円を引き出して、その半分を使ってシュークリームを買って帰った。あーあ見つかっちゃったと思ったが、その後みんなで楽しくそのシュークリームを食べた想い出がある。そんな感じで、若くて金もなかったが、毎日が本当に楽しかった。
川口さんや丸谷さんは年齢的にも一番近い先輩だったので、やはり何やかんやと声を掛けてもらったし、一緒に遊びに行ったり、飲みに行ったりしていた。川口さんには、結婚した時に引越しの手伝いまでしてもらい、面倒見の良い気さくな先輩だった。

本田さんは、今は同じビルで仕事をしているので顔を見たり挨拶はしているが、中々ゆっくり話す機会もなかったし、川口さんとは10年ぐらい会っていないし、丸谷さんとは20年ほどお会いしていない。そういう訳で、今日お会いするのは本当に楽しみだった。今日の計画は、豪快な本田さんに声を掛けてもらったので、これまでのように情報も少なく、丸谷さんと会えることは知らなかった。良いように思えば、サプライズになって良かったと思う。

今日、先輩と訪れた先は、和歌山県有田郡広川町にある滝原温泉・ほたるの湯という広川町が運営している温泉である。食事も出来てゆっくり温泉にもつかれるところだ。場所は川口さんが事前に調べてくれていた。さすが、気配り目配りの川口さんである。
丸谷さんの車で現地に到着したのが11時頃。先ずは4人で昼食をとった。何やかんやと昔からの思い出話に花が咲き、3時間ぐらいかけて食事をした。当時のエピソードやそれぞれの近況を話したり、皆一様に年をとって体のあちこちにガタがきたとか、他愛もない話は中々尽きることはなかった。
皆 年はとって見た目も年齢相応になってしまったけど、話をしているときは当時に戻った感じがして、懐かしくもあり嬉しくもあり、良い時間を過ごせた。
話は尽きなかったが帰る時間もあり、その後ゆったり温泉につかり帰路についた。温泉は露天風呂もあり、結構広々として気持ちの良いものであった。天気も良く、柔らかな日差しを浴びながら露天風呂にのんびりつかるのもまた格別だった。なんともゆったりして、昔話も出来、有意義な1日になった。
本田さんや川口さん、丸谷さんに感謝感謝である。

川口さんが、「昔の仲間に会うと自分が当時に戻れるのが嬉しい」と言っていたが、本当にその通りである。昔ばかりを見て懐かしんでいるというわけではなく、たまにそういう機会があると、普段の嫌なことも忘れられるし、またそういう機会があると思うと普段の生活も楽しくなる。
たまには、昔を懐かしむだけでなく、実際に顔を見て馬鹿話をする機会を設けるということは、本当に良いことだ。
昔の仲間と顔を合わすことで良いストレス発散になる思うので、最近、楽しいことがないと嘆いている人は、是非そういう機会を持って欲しいものだ。

という訳で、本田さん、川口さん、丸谷さん、今日は本当にありがとうございました。
次の機会を楽しみにしています。

P.S. 関西近郊の方へ「ほたるの湯」情報は、下記のURLにアクセスしてください。
http://www.zc.ztv.ne.jp/hotaru/index.html
スポンサーサイト
    TSUTAYA online 

blogblog ああ、いいなぁ / 2010.01.30 02:09 / TB[0] / CM[0]






:: Comment ::

管理者にだけ表示を許可する


 + 


Link

クリックで救える命がある クリック募金とは、クリック募金サイト上の募金ボタンをクリックするだけで、無料で募金ができる仕組みです。 あなたに代わって、スポンサー企業が寄付をしてくれます。
難病情報センター 難病情報センターは、厚生労働省が難治性疾患克服研究事業(特定疾患調査研究分野)としている疾患を中心とした情報を提供しています。
J-FOP~光~ 進行性骨化(化骨)性線維異形成症の患者会のサイトです。FOPの正しい理解、寄付や署名の呼びかけ、活動記録の紹介をされています。
細菌性髄膜炎から子ども達を守りたい 年間約1000人の子ども達が細菌性髄膜炎に自然感染 5%の方が亡くなり、4人に1人後遺症に苦しんでいます。細菌性髄膜炎は、ワクチンで救える病気ですが、まだ十分な医療体制にはないそうです。正しい理解とその活動の記録や支援の呼びかけをされています。
日本ユニセフ協会
ユニセフは、第二次大戦で被災した子どもたちの緊急援助を目的に1946年の第1回国連総会で国連国際児童緊急基金(United Nations International Children's Emergency Fund=UNICEF)として設立されました。その後、活動の重点を開発途上国の子どもたちを対象とした社会開発に移し、国連児童基金(United Nations Children's Fund)と改称されましたが、UNICEFの略称は世界中の人々に親しまれていたため、そのまま現在まで引き継がれています。ユニセフは子どもの権利を擁護する主要な団体であり、2005年現在、155の国と地域で子どもたちの生存と健やかな発達を守るため、保健、栄養、水と衛生、教育などの支援事業をその国の政府やNGO、コミュニティと協力しながら実施しています。また、先進工業国37カ国にユニセフ国内委員会があり、アドボカシー活動(政策提言活動)と募金活動を支えています。資金はすべて任意拠出であり、その3分の2は各国政府からの、3分の1は民間からの拠出です。ユニセフは1965年にノーベル平和賞を受賞。2001年にも、国際連合、国連事務総長コフィ・A・アナンとともにノーベル平和賞を共同受賞しました。
WWF(世界自然保護基金)は、約100カ国で活動する世界最大の自然保護NGO(非政府組織)です。人と自然との共存をめざして、生態系の保全から地球温暖化防止まで幅広く、世界の自然を守る活動に取り組んでいます。WWFの活動はすべて、一般の方々からの会費やご寄付によって支えられています。
JHP・学校をつくる会
JHPは戦争や自然災害で教育の機会を奪われた世界の子ども達に、人種、国籍、宗教、その他の信条の違いにかかわらず広く教育等の援助を行い、また紛争や自然災害で被害を蒙った人々への救援活動と、これらの活動を通じて、次代を担う若者達への地球市民教育を実践することを目的としています。
日本国際ボランティアセンター
JVCは、1980年にインドシナ難民救援を機にタイ・バンコクで設立されました。当初タイ国境難民キャンプでの支援活動を行っていましたが、その後、孤立していたカンボジア国内などインドシナ3カ国の復興に協力し、和平への提言も行いました。また広く難民を生まない国づくりを目指した開発協力支援を行うようになりました。現在は、9カ国・地域で、農村開発支援や教育支援などの開発協力活動、紛争地域での緊急医療活動や交流、関係する調査提言活動を行っています。


KinoLog Factory


KinoLog FactoryでCalligraphy作品を公開中。


Flower


想いを花にのせて スプリングギフト


Music


art1_120x90.jpg

ショップ紹介(小)2


Watch


ブランドロゴ2




MoMA


160-600_flatware=0">


* Designed by cadet; * -----【Login】
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。